1月14日は母の一周忌でした。
家族だけでのつつましやかな一周忌を終えました。
母は、 この世からあの世に魂が抜けていった瞬間に、 とても凛とした顔付きになり、 神々しく輝いて、 旅立ちました。妹が、 「ママは、 この世に何の未練もないんだね。寂しい、、」 とつぶやきました。
あれから1年。真言宗の杖をついて、 あの世で雄々しく、 楽しそうに修行を続けている母が見えるようです。きっとこの世でやっていた、 他人のために生きた人生を、 あの世でも、 もっと自由に楽しんでいるように思うのです。
この世での母の病名の多さといったら、、、、
病気のデパートや~~~!
肺門リンパ腺、 虫垂炎、 寒冷じんましん、 高血圧症、 耳管開放症、 足指のしびれ、 胸椎圧迫骨折、 気管支拡張症、 非結核性抗酸菌症、 右手首骨折。
開腹による閉鎖孔ヘルニアの手術、 その直後の S 状結腸がん手術も開腹して行われ、 そのあと腸が癒着する事態に。
その他、 巻き爪、 2か所の動脈瘤、 心臓や腹部に 4cm のものが最終的に 6cm に。
網膜中心静脈閉塞症 (目の奥の網膜の血管梗塞) からの緑内障、 最後にはほとんど見えなくなっていました。
肋軟骨骨折、 膣付近のイボが痛くて座れない。
肺炎がひどくなり、 食事もできなくなり。
その様子を見て、 私は何かできないかと、 CS60 を手にころころころころ。
最初は嫌がっていて、 治ったかといわれると、 そうとはいえない症状もあったのですが、 そのうち 「CS してくれる?」 と頼まれるようになり、 「あ~気持ちいい」 とか 「ちょっと痛みが楽になったわ」 と言ってくれるようになりました。
最終的には追いつかず、 あの世に召されましたが、
そんな大変な日々から解放され、 今は本当におだやかにあの世で暮らしているのではと思います。
私は、 母の最期を見て、 自身の最期も想像してみるに、 できるだけ病院のお世話にならず、 食べれなくなれば食べない、 そうやって衰弱して穏やかに死んで行こう、 と思い、 「リビング ・ ウィル 日本尊厳死協会」 というのに入会し、 できる限りの延命措置はしてもらわない意思表示をしました。
「老人が食べなくなるのは、 食べる必要がなくなっていくから」 「食べなくなって徐々に穏やかにあの世に召されていく」 それが穏やかな死だとしたら、 できるだけそれを目指したいと思っているのです。
会費を払いそびれない限り、 そういう意思表示を続けることになるので、 会費は払っていこうと思っています。
一周忌には、 お花など贈って偲んでくださった方々もおられ、 本当に感謝いたします。
本人もきっと喜んでいることでしょう。
おりしも阪神淡路大震災から 1 月 17 日で 30 年。
私は当時、 関西に住んでいましたが、 西宮市の、 被害がひどかった地域から伊丹市の新築マンションに引っ越したばかりで、 そこではすぐに電気も復旧したので、 逆に友達夫婦が赤ちゃんを連れて避難所にしに来てたぐらいで、 それほどきつい思いはせずに済みました。
職場の喫茶店ももなくなりましたが、 私にとっては大きな問題でもなかった。
私は比較的ラッキーでしたが、 生死をさまよったり、 家や家族をなくした友達も多く、 ほんとに信じられないことが起こったと思いました。
もう 30 年も経つのがびっくりします。
ここのところ、 また地震も大雨も、 なんでも起こりそうな最近の天気の激しさ。
覚悟しつつ、 おだやかに。
できるだけのことを、 やるのみですね。いちおう、 米を40キロ、 水と塩の備蓄はしましたよ。
あとは、 今の生活を思い存分楽しんで、 地球の営みを肌で感じて、 地球と一体感をもっともっと感じていくこと。
そして、 できるだけ自分が 「治せる」 治療家になれることを目指したいと思っております。
今年は年明けから、 自分がぎっくり腰やら風邪やらで、 あまり元気な年明けにならなかったですが、 スロースターター。ゆっくりマイペースで暮らします。
来週はちょっと寒さも緩みそうですが、 寒さに負けず、 お元気でお暮しくださいませ!
先日久しぶりに、 明石のタコ焼き、 明石焼き (玉子焼き) を食べました!
ああ~やっぱおいしいですね!
1 月 20 日からまた福岡に戻ります。よろしくお願いいたします。
CS60 いとつむぎ完全予約制 070-8434-7275
■10 日~20 日 JR 曽根駅
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