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久美子ママの朗読3とエンディングノート
2024-02-16 母の朗読

久美子ママ永眠のご挨拶

エンディングノート

ご報告が遅れましたが お正月明け 1 14 日未明に 実母 久美子が永眠いたしました。四十九日も終えました。数えで 88 歳。

8 年前に大腸ヘルニアと大腸がんの手術を連続して手術してから 非結核性抗酸菌症やら眼圧が上がって失明したり 全身に痛みがあったり 肺も徐々に悪くなりました。ごはんもあまり食べられなくなり痩せて 1/4 に呼吸がおかしくなり救急搬送。

延命治療はしない と固い意志があり 人工呼吸器も胃ろうもしない方針で点滴治療 いったん良くなり 自宅に帰りたがったので 介護認定 5 も取って自宅療養の準備をしていたのですが 急変してしまいました。

最終的には肺炎で 妹と私 父が見守る中 徐々に息が吸えなくなり徐々に息が止まり 最後一瞬顔をゆがめたあと安らかな寝顔で逝ってしまいました。

CS60 でコロコロして痛みが楽になり CS60 やって と言われて気持ちよさそうにしていたことはあっても 追いつかず 苦しい思いや痛い思いを長くたくさんしていたので 私や父は やっと苦しみが終わったね。良かったね と言いました。妹は無念に泣きました。

故人の遺志により つつましい家族葬をさせていただき お香典お供えはお断りいたしました。

お葬式は 母の もう息苦しくなっていたときに歌った ふるさと やがんばって読んだ朗読の一節を流し みんなで聴いて よいお式ができました。

白と水色のお花をいっぱい飾ってもらえて 青いドレスで棺に入ったママは 晩年はかわいい乙女だったけれど 死んだら高貴な人になってました。

式場が用意してくれた寄せ書きに私たち姉妹や父は ごめんね ママ となんだか謝ってばかり。

ママが家族のために尽くしてくれたことが大きくて わたしたちはのんびりぼやぼやと生きてきたなあ でものびのび健康に育ててくれたことに感謝。ありがとうママ。

厳しすぎて反発したり 疎遠になったりしたこともあったママだけど この 1 年は実家と福岡を行ったり来たりして 2 拠点にしてそばに居れて良かった。

まだまだ生きると思っていたから 気持ちがなかなかついていかなかったけれど 何がベストか 妹や姉と何度も どうしたらママの本当にしたいようにできるのか話をした。

延命治療をしない ってひとことで言っても ムズカシイ気持ちの問題がたくさんありました。

訪問医療で看取るということの難しさも感じました。

あと びっくりしたのが きめ細やかなエンディングノート私にもしものことがあったら

  1. 大和会館に電話する。
    2 〇〇さん 〇〇様に連絡する。
  2. 自治会長さんに連絡 放送はいらない 等々…

と手順が細かく書いてあって。

そんなことに慣れていないぼーっとした娘たちは つつがなくお葬式が出せました。

たくさんのことを気づかせてくれ 愛されていたことを気づかされました。残された 90 歳の父と献身的にお世話していた妹の気持ちを支えながら 今のところ福岡と実家の行ったり来たり生活を続けていこうと思ってます。

歌も歌わないとね ママの分まで。長いお話 最後まで読んでくださりありがとうございました。母が生前お世話になりました方々 皆様 本当にありがとうございました。

お葬式で流した朗読 聴いてあげてください。ほかにもあるので いつになるかわかりませんが アップいたします。よろしくお願いいたします。

コチラ→2023 年夏久美子ママ朗読 3 あなたが生まれた日 1 より

私自身は 実家サロン 兵庫県 も今後とも月の中ば 10 日間の営業を続け 月初の10日感 月末の10日間は福岡 という今まで通りのスケジュールで CS60 サロンいとつむぎ をやっていく所存ですので 今後ともよろしくお願いいたします。


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